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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
と
が
同じ文字だ…などと言っていたら、文字もわからずに文学?と嗤われますが
いくらなんでも、そんな国語の先生が居る筈がありません。
さらに
短歌、詩、随筆、小説…などと、何れにしても文学として書くためには
日本語ならではの文字の書き方がわからなければ話にならず
日本語ならではの文字の書き方もわからずに、文学を騙る先生が高尚
日本語ならではの文字の書き方と、その字形を教えている先生が低俗
であるかの如くに捉える人もまた、居る筈がありません。
と
が
さらに
小品、ソナタ、協奏曲…などと、何れにしても音楽として弾くためには
ヴァイオリンならではの音程の取り方がわからなければ話にならず
ヴァイオリンならではの音程の取り方もわからずに、音楽を騙る先生が高尚
ヴァイオリンならではの音程の取り方と、その響きを教えている先生が低俗
であるかの如くに捉える人もまた、居る筈がありません。
と思いきや
と
では
文字が違う…ということがわからない国語の先生は絶対に居る筈がないのに
と
では
さらには
『「弦のトホホ」(仮名)というブランドの有名無実ぶり』で書いたように
トホホの先生の誤ったシンセサイザー指導と、誤った音階練習のレッスンを受けつつ
そのうえで、それらが誤りだとする私のレッスンも受ける?
などということを考える人が現実に居るのです。
では、何故このようなことになってしまったのかといえば
ヴァイオリンは響きを聴いて音程を確定できる…という本来の手法が忘れられたため
音程=左手の運指と、響き=右手の運弓の指導も伴う点で“技術”に精通し
同じ音符でも、複数の音程から最適な音程を選択する点で“音楽”に精通した者
即ち本当に音楽を知る者が教えられるということも忘れられてしまったからです。
さらに
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』で書いた
[壺]による「正しい音程」の判断方法も、かつてはヴァイオリンの関係者であれば
誰もが知る当然の判断方法でしたが、それもまた忘れられてしまったのです。
そして
“音程の取り方を知らない” のでは?』で書いたように
ヴァイオリンという自ら音程を作る作音楽器では音程の取り方は基礎中の基礎で
その指導には正確な知識と緻密な観察に基づく訓練の反復が必須にもかかわらず
そうした指導を受けられない者や、そうした指導を受けたことがない者が巷に溢れ
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人が
アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居る事態に陥りました。
そのため
日本語ならではの文字の書き方は誰も教えず学ばれなくなってしまい
誰もが兎に角かいて書いて書きまくって何となく正しい文字に似せている
などということは有り得ないのに
ヴァイオリンならではの音程の取り方は誰も教えず学ばれなくなってしまい
誰もが兎に角ひいて弾いて弾きまくって何となく正しい音程に似せている
という事態に陥ってしまったのです。
と
では
音程が違う…ということがわからないヴァイオリンの先生ばかりになるとともに
既述のようにトホホの先生のシンセサイザー指導や、その音階練習のレッスンが
誤ったものである…などとは思いもしない人も居るようになってしまったのです。
多少なりとも似ていようが、必ずしも似ていなかろうが、いずれの場合も
ヴァイオリンならではの音程の取り方もわからずに弾いてひいて弾きまくって
ヴァイオリンならではの音程に“それっぽく”似せているかどうかでしかなく
ヴァイオリンならではの音程 “そのもの” としては弾けていないので
それはまさに以前の記事で書いたように「キュウリ」に「ハチミツ」を掛けて
「メロン」ぽい味にしているようなものでしかありません。
と
が
さらには
ヴァイオリンでは同じ音符でも、例えば旋律と重音で異なる音程になるだけでなく
旋律の前後関係でも音程は違い、そうした音程の違いは響きを聴いて確定できるのに
そうした音程の差異を実際に聴いて確定せずに、チューナーで計測して判定するのは
「キュウリ」に「ハチミツ」を掛けたものと「メロン」の違いは食べればわかるのに
そうした食材の違いを実際に食べて確定せずに、糖度計で計測して糖度が同じなら
「キュウリ」に「ハチミツ」を掛ければ「メロン」だとしているようなものです。
もっとも
正しい音程の取り方を地道に教える先生こそ、音楽に直結する道を知る指導者なのに
そんな音程の取り方を教える先生は、入門のガイド役…としか捉えられない一方で
正しい音程の取り方も知らずに音楽を騙る者が、音楽を語れる指導者だと看做され
ヴァイオリンならではの音程の取り方も知らない者が先生をしたりしていますが
そうした偽物に惹かれ釣られてしまうのは、世の常なのかもしれません。
ですから
私はこのブログで繰り返し、音程を教え学ばないことへ警鐘を鳴らし続けていますが
それが大きな警鐘にならないのは、上述からして仕方がないのかもしれません。
正しい文字が書けてこその短歌、詩、随筆、小説の執筆であるのと同様に
そうした際には既述のように、ヴァイオリンは響きで音程が確定できるとともに
そのように響きで音程を取る際には“技術”と“音楽”の両方に精通する必要がある
(狛江教室の近くの漢方薬局の入り口にあった看板です)
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標