(モバイルでは端末を横長にしてご覧ください)
(iPhoneなどで端末を横長にして画面の左側にブックマークなどの表示が出る場合は
画面最上部のアドレスバーの左側の青くなっているブック(本)のマークのアイコンをクリックすると消えます)
イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
自動車というのは
一般的な車種で 時速100km 120km 140km…で走れる設計ですが
そうではなくて 時速100km までしか走れない性能の自動車があったとして
また
あるスポーツの解説者が、現在は頭も使うのに、嘗ては体力勝負ばかりだったことを
自虐的に披露する話として「学生時代に先輩が100%のオレンジジュースしか飲ま
ないというので買いに行ったら、どうしても50%のオレンジジュースしか無かった
ので、50%のオレンジジュースを2本買ってきて、これを2本飲めば100%です
よねと言ったら、先輩も納得して飲んだ」と語り、周りの笑いを誘っていましたが、
この話がそのように笑われる理由は、濃度と総量の話を混同してしまっているから、
これがヴァイオリンのレッスンとなると、学習者どころではなく指導者のなかにも
上記の自動車の速度の話の、走行に無理が生じることも理解できなければ
上記のジュースの話の際の、濃度と総量を混同している可笑しさもわからないような
などと書くと
「自分のバイオリンの先生は、時々運転もするし、そんなことはわかる」ですとか
「自分のバイオリンの先生も、オレンジジュースの話の可笑しさはわかる」といった
声が聞こえて来そうですが、はたして本当にそうでしょうか?
といっても
私がここで言いたいのは、自動車の速度やオレンジジュースの濃度の話ではなくて、
バイオリンの指導の際に、既述の話のような無理や可笑しさと全く同じことをして、
その自動車を時速100kmで走らせたいのであれば
その自動車を時速180km程度まで走行可能にしておかなければならない
さらに言えば
その曲の完成度を100%で弾くためには、発表会で弾いたり演奏をする際に
普段の実力の90%程度しか弾けないなら、曲の完成度は最低でも112%
普段の実力の80%程度しか弾けないなら、曲の完成度は最低でも125%
普段の実力の70%程度しか弾けないなら、曲の完成度は最低でも143%
普段の実力の60%程度しか弾けないなら、曲の完成度は最低でも167%
にまでしておかなければならないことは、小学生でも計算できることですが、
そこまで高めておいてもそれは「最低でも」ということでしかなく、それはまさに
時速100kmまでしか走れない車で時速100kmで走っているのと同じです。
にもかかわらず
その曲の完成度を仮に80%程度で済ませたりしていたら、実際の演奏の際には
普段の実力の90%程度にしか弾けなければ、80%×90%で曲の完成度は72%
普段の実力の80%程度にしか弾けなければ、80%×80%で曲の完成度は64%
普段の実力の70%程度にしか弾けなければ、80%×70%で曲の完成度は56%
普段の実力の60%程度にしか弾けなければ、80%×60%で曲の完成度は48%
にまで下がってしまうこともまた、小学生でも計算できることですが、
いくら発表会や演奏の際にミスは付き物…とはいえ、そこまで完成度が下がると
とてもまともに聴けたものではありません。
こんなこともわからずに、生徒がある程度弾けると次の曲に移ってしまう先生や、
更には、普段のレッスンで生徒に8割しか求めないなどと公言する先生まで居て、
そんな先生は、まさに既述の自動車の速度の話もわからないような者だと言えます。
50%のオレンジジュースを2本飲めば50%+50%で100%と同じというのは
既述のように濃度と総量の話を混同してしまっているために、
成分での総量は100%になっているように見えるものの
濃度での割合では50%のままであるだけでなく、全体の量も2倍になってしまい
余分に飲むだけで、それをいくら続けても濃密なジュースは摂れない
指導での総量からすると如何にも指導が積み重なっているように思えるものの
求める度合いは80%のままであるだけでなく、全体の練習量も増えてしまい
余計に弾くだけで、それをいくら続けても完成度は高まらないということです。
さらに言えば
その指導を90%程度習得できる生徒には、求める度合いは最低でも112%
その指導を80%程度習得できる生徒には、求める度合いは最低でも125%
その指導を70%程度習得できる生徒には、求める度合いは最低でも143%
その指導を60%程度習得できる生徒には、求める度合いは最低でも167%
で教えなければならないということは、小学生でも計算できることですが、
そこまで高めておいてもそれは「最低でも」ということでしかなく、それはまさに
オレンジジュースの濃度と吸収率の話だと言えます。
にもかかわらず
ある時点で80%しか求めない指導をしていたら、レッスンの際に
その指導を90%程度習得できる生徒では、80%×90%で指導の習得率は72%
その指導を80%程度習得できる生徒では、80%×80%で指導の習得率は64%
その指導を70%程度習得できる生徒では、80%×70%で指導の習得率は56%
その指導を60%程度習得できる生徒では、80%×60%で指導の習得率は48%
にまで下がってしまうこともまた、小学生でも計算できることですが、
こんなこともわからずに、その時点で生徒に完璧を求めずに次の指導に移る先生や
更には、その時点で8割しか求めなくても少しずつパーフェクトに近づく…などと
言っている先生は、まさに既述のジュースの話の可笑しさがわからないと言えます。
「楽譜通りきちんと弾けるようになりたい」というのであれば
曲の完成度は112%や125%以上の完成度にしておく必要があり
求める程度も112%や125%以上の度合いで指導することが必要で
そうでなければ
その結果
『もはや仙人(笑)? プロも習いに来るヴァイオリンレッスン』で書いたように
学習者は、大量やまとまったエチュードを課されて汲汲とするばかりですし、
演奏者は、大量や次々現れる演奏すべき曲の譜面に汲汲とするばかりなのです。
学習者は弾いてひいて弾き捲らないと、それだけで怠けた気分になり
学習者は弾いてひいて弾き捲れないと、何かやる気がない気分になり
学習者は弾いてひいて弾き捲ることで、如何にも練習した気分になるのですが
そんなことをしていてもそれっぽい演奏技術ならぬ演奏偽術しか身に付かないことに
演奏者も弾いてひいて弾き捲らないと、それだけで怠けた気分になり
演奏者も弾いてひいて弾き捲れないと、何かやる気がない気分になり
演奏者も弾いてひいて弾き捲ることで、如何にも練習した気分になるのですが
確かに
幼児の女の子の生徒さんが思わず「イワモト先生~…」と声を発した例もありますし
生徒さんのレッスンに同行して来たお母様が、思わず泣いてしまった例もありますし
大人の生徒さんに至っては思わずガックリと肩を落としたこともある…と書くと
「やっぱり厳しいレッスンなんだ」という声が聞こえて来そうです。
けれどもそれは
幼児の女の子の生徒さんが思わず「イワモト先生~、やさしい先生」とレッスン中に
声をかけてくれたということですし
生徒さんのレッスンに同行して来たお母様が、思わず泣いてしまったのは「娘が
こんなに夢中になってレッスンを受けるのは初めて」と感激されてのことですし
大人の生徒さんが思わずガックリと肩を落とした際には「こういうレッスンが必要
だったんです…私は今まで何をしていたんだろう」ということでしたので
ではなくて
曲の完成度が112%や125%以上というのは、どういう状態なのか?
求める程度が112%や125%以上というのは、どういう指導なのか?という
ことを知りたい方が居るかもしれませんが、それはこのページの冒頭で掲げたように
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンさえすれば実現するものでもありませんし
簡単に文字に出来るものでもありません。
しかし強いて文字にするなら
一音いちおんの音程を、ヴァイオリンの響きを聴いて確定できる方法を学びながら
一音いちおんにおいて、求める音程が何なのか?求める表現が何なのか?を明確化し
一音いちおんにおいて、そのように求める音に到達するための予備動作も反復練習し
そしてそれは
ダーツに譬えるなら、闇雲にダーツを投げるのではなく、常に目標が明示され続け、
さらには、投げたダーツが中心から外れた際には即座に刺し直せるようなもので、
ですから
そうした指導では、響きを聴いて正しい音程を取ることが前提となるのに対して、
『皮層選薄 世界初! 弓の操作性を向上させる鱏断(エイダン)』で書いたような
ヴァイオリンの専門教育を正しく受けていないが故に
「絶対音感」「指板にシール」「ピアノ」「チューナーで確認」といったことが
ヴァイオリンの音程を取るのに有効だなどと思い込んでいる者による指導は
そうした方法ではヴァイオリンの音程は決して正しく取れない時点でもう既に
ヴァイオリンごっこを続けていても「楽譜通りきちんと弾けるように」ならないのを
例えば、弾けないと思えることが上達だ…などと換言されてみたり
例えば、上達する程に理想は遠のくもの…などと思わせ振りに言われてみたところで
そんな能書きは尤もらしいだけで、現実には何の役にも立ちません。
因みに
レオポルト・アウアーの高弟のニコライ・シフェルブラット先生から指導を受けた
四郎先生(門弟達は、鷲見四郎先生のことを、今でも尊敬を込めてこうお呼び
します)のレッスンでも
シフェルブラット先生が四郎先生を指導するのを観て多くを学ばれた
三郎先生(門弟達は、鷲見三郎先生のことを、今でも尊敬を込めてこうお呼び
します)のレッスンでも
曲の完成度は112%や125%を超えるような指導をされていましたし、
求める程度も112%や125%を超えるような指導をされていました。
ところが
『「エンカ」でも「擦る」でもないビブラートの練習方法』で書いたように
三郎先生も四郎先生も、ヴァイオリンの歴史的名教師として語り継がれているため、
両先生に長期間でなく、講習会や音大等で一定期間習っただけで門弟と称する人達や
さらには、そのようないわば俄か弟子等に一定期間習っただけでその系譜と称す者が
そのため
自動車で時速100kmで走るには時速100km以上の性能が必要なのに
それを 時速100km未満の性能のまま走らせるかの如くに
曲の完成度を100%で演奏するのには100%以上の完成度が必要なのに
それを完成度100%にも満たない状態のまま次の曲に移ってしまう先生や
指導に関しても
100%のオレンジジュースが無いからと、50%のジュースを2本飲んでみても
総量は100%のように見えても、濃度はいつまでも100%にならないのと同じで
100%を求めるのには無理があるからと、8割方しか求めない指導を続けてみても
指導は積み重なるように見えても、完成度は高まらないとはわからない先生が
蔓延してしまったのです。
その結果
一見すると、以前よりも弾けるような気がしても、実は熟なれてきただけだったり
一見すると、以前よりも難しいことをしていても、実は何れも中途半端なままで
いつまでもヴァイオリンをきちんと弾けない惨状に陥ってしまっているのです。
であればこそ
せめて、私の所の門を叩いた生徒さん方には
私がかつて師事した三郎先生(鷲見三郎先生)や四郎先生(鷲見四郎先生)が
指導されていらしたようなヴァイオリンの本当のレッスンをしなければ…と
身の引き締まる思いがしています。
「楽譜通りきちんと弾けるように」なることは永遠に不可能な、偽物の指導なのか?
「楽譜通りきちんと弾けるように」なることが確実に実現する、本物の指導なのか?
ということが、誰の目にも明らかになるのです。
(下掲のボックスでブログ(サイト)内の検索ができます)
このブログの文章・画像・その他のコンテンツを含む一切の転載をお断りいたします
カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標