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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
などと書くと
カメラが回っていないと激しく叱責されたと思う方が居るかもしれませんが、それは
言葉の激しさなどではなく、以前の記事で書いたアイザック・スターン先生の指導も
そうであったように、追究でもなければ追求でもなく追及しているのではないかと
思えるような指導を総ての受講者に行い、それは他の巨匠達の指導でも同様でした。
そうした点では
何年も前に打ち合わせ先のTVで途中から観たので、詳しい状況はわかりませんが、
私のサイトのヴァイオリンの音程の取り方のページで取り上げている書籍の著者の
サイモン・フィッシャーの師で、名伯楽として知られたドロシー・ディレイ先生が、
T女史の演奏に対して、あるたった一音を取り上げて「私だったらそこのFの音は
それではなくて、こっちの音で弾くわ」と自ら弾き示しつつ追求していた場面は、
まさに既述の巨匠達の実際の指導の様子を彷彿とさせるものでした。
(もっとも私としては
私のサイトのサイモン・フィッシャー/ベーシックスのページで
ドロシー・ディレイ先生のお人柄については、
私が師事した鷲見四郎先生のもとから留学していた生徒さんも居たため
ディレイ先生と四郎先生のやりとりからも知ることができていた…と書きましたが、
ディレイ先生に師事した方々が「ディレイ先生は一目でその人のヴァイオリンの適正
や才能を見抜く」と言う意見が多かったなか、既述の番組の最後で、ナビゲーターを
していたモジャモジャ頭のH氏が「僕もヴァイオリンを弾くんですよ」と言うと、
ディレイ先生が、それはあり得ない…といった表情で目を丸くされたシーンを観て、
さらに
これも何年か前の別の機会に、打ち合わせ先のTVで途中から少し観ただけですが、
そのディレイ先生の高弟として語られることの多いG女史が、生徒の指導が終わった
夜に始めた自らの練習というのも、ゆっくりとじっくりと一音いちおん響きを確かめ
ながら最も響くポイントを探る音階練習であったこともまた、ディレイ先生の指導を
受け継いだものであるとともに、私のサイトのヴァイオリンの音程の取り方のページ
で書いた通りの方法でもあることに、名手が名手たる理由を観る思いがしました。
そして
そのように何れの巨匠達も名伯楽達も、YouTube などで見られる指導とは違い、
一音いちおん僅かな瑕疵や曖昧さも許さない指導をしていましたが、そのように
事実
そうした取り組みは、特にセルの演奏で顕著に聞かれた…といきなり書いたのでは
「セル?細胞?」などと思う方も居るかもしれませんが、これは
私のサイトのカイザー ヴァイオリン練習曲 KAYSER 36 ETUDESのページや
私のブログの『文字の書き方も習わずに文章を綴る?
あなたのヴァイオリンが上達しない決定的な理由』でも書いた
クリーヴランド管弦楽団の常任指揮者となり猛練習を行い
「現代オーケストラ芸術の奇跡」とまで言われる究極のアンサンブルを実現し
かの帝王カラヤンも頭の上がらなかった名指揮者であるジョージ・セルのことで、
セルは、ガンで余命幾許もないと宣告されたなか、奈良の正倉院の宝物も観たい
として来日を決意したこともあり、大阪万博の年の演奏が、日本で聴けた最初で
最後のコンサートとなりました。
今日遺されているセルの録音の殆どでは、何か潰れたような音しか聴かれませんが、
録音より遥かに壮絶だったムラヴィンスキー指揮レニングラード管弦楽団の生演奏や
録音より遥かに美音だったカラヤン指揮ベルリン・フィルの生演奏を耳にした際の
思い出なとどは違い、実際の生演奏で耳にしたセル指揮クリーヴランド管弦楽団の
まさに最期といえる時の演奏は、よい意味で異様な、まるで清流を思わせるかの如き
只管に澄み切った響きであるが故に、微妙なニュアンスや僅かなアゴーギクまでもが
ですから
冒頭既述の巨匠達や名伯楽達やプロ奏者達の追求の最終回答ともいえる演奏として
セル指揮クリーヴランド管弦楽団の上記なまでの生演奏を耳にした経験からも、
既述のように一音いちおん美しく正しい音を紡ぎ重ねることこそが
究極の音楽表現につながる土台を形造るものであると確信しています。
趣味で習う一般の方だけでなく、専門家を目指す方や
音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンにおいても
バイオリン本来の正しい音程の取り方や[差音]も含めて
歴史的名教師、有名演奏者に学んだバイオリンの伝統的な奏法に則り
と掲げています。
ところが
こうした当たり前のことを何故か勘違いしてしまい
あなたのヴァイオリンが上達しない決定的な理由』で書いたように
まるで文字の書き方も習わずに文章を綴るかの如くに
音程の取り方も知らず習わずに演奏をしている人達も居たりして
『ヴァイオリンが上達したいのに上達したくない人達?』でも書いたように
そんなことをしていても、何時まで経ってもヴァイオリンの音程の取り方など学べず
そんなことをしていては、何時まで経ってもヴァイオリンが本当には上手に弾けず
曲を弾き進めていたとしても、上達という観点では先には進めていない有様は
何ともお気の毒な限りです。
ですから
既述のように巨匠達の指導は、追究でもなければ追求でもなく追及と思える程に
凄まじいレッスンを行いはしていたものの、それはあらゆる楽器のプロ奏者が日々
行い続けている当たり前のことをしただけで、そこには[秘密]も[秘訣]も無く、
一音いちおん僅かな技術的な瑕疵や曖昧さも無いように練習するとともに
一音いちおん美しく正しい音を紡ぎ重ねるようにヴァイオリンを奏で続けること
こそを教えていたとも言えます。
そうした点では
ブラームスに会ったマーラーとのやりとりをワルターから聞いた…という話を
バーンスタインさんから伺いはしましたが、残念ながら私程度の者ではその内容の
大半が未だに殆ど理解できておらず、これはまさに[秘訣]というよりも[秘密]
に類するものなのかもしれません。
同様に
ブラームスがヨアヒムに語った内容をアウアー先生から指導されたシフェルブラット
先生の話しを、四郎先生(門弟達は、鷲見四郎先生のことを、今でも尊敬を込めて
こうお呼びします)から伺った内容も、一部はわかってはきたものの、私程度の者
ではその総ては解せず、大半は[秘訣]ではなく[秘密]のように感じています。
そうしたなか
こちらもかつて、その門弟には現代最高峰のヴァイオリニストのフランク・ペーター
・ツィンマーマンなども居て“オランダのパガニーニ”とも称されたヘルマン・
クレッパース先生が四郎先生の処に来日された際のことを『「エンカ」でも「擦る」
でもないビブラート(ヴィブラート)の練習方法』の記事中で書きましたが、その
クレッパース先生が離日される際に書かれた手紙が四郎先生の許に届いたものの、
離日する直前まで書き続けられたであろうその手紙は、恐らくは移動途上のタクシー
の中などでも認められたものであったためか、文字が乱れた箇所が相当程度あり、
四郎先生の門弟にはヨーロッパに留学したり長く暮らした人達も大勢いたものの、
語学の問題ではなく文字の乱れという物理的な理由で、誰も読めない部分がかなり
ありました。
四郎先生から依頼された私が、多少読み取れる単語や前後関係から内容を類推できる
レベルの方に解析をお願いし書き起こしてもらった結果、そこに書かれた文字は文章
として読めるようになりましたが、それは四郎先生宛の私信であるので、その文面を
ここには書きませんが、そのような経緯から私はその内容を拝見できた…とはいえ、
ということで
バーンスタインさんから伺ったブラームスの話と、四郎先生から伺ったブラームスの
話については、総てを理解するのにはあと50年程かかりそうですが(ということは
私が生きているうちには無理そうですが(笑))、両者の話の共通する部分で、多少
気づいてみればヴァイオリンを半世紀以上学び続け、内外の歴史的名教師や名演奏家
にも多くの教えを請うことができたことに加え、何より四郎先生から長年にわたって
教えを請うこともできていたので、クレッパース先生が四郎先生に宛てた手紙の内容
についても、その意味するところが最近になって多少はわかってきたので、わかる
範囲で数年前から実行してみました。
さらにそれは
アウアーの高弟のシフェルブラット先生から四郎先生がレッスンを受けた時の様子を
三郎先生(門弟達は、鷲見三郎先生のことを今でも尊敬を込めてこうお呼びします)
が学ばれた…と以前の記事で書きましたが、そのアウアー先生ご自身の書籍である
『レオポルト・アウアー自伝』のなかでも書かれているやり方であったのです。
私自身もそれほどの歴史的名教師達のやり方の総てがわかったわけではないものの、
一方で、それほどの歴史的名教師達のやり方ともなると、その一部のわかった内容を
ほんの少し実行しただけでも、驚く程の効果があったのです。
そのように、そのやり方の一部のわかった範囲のことを実行しただけでも、信じられ
ない程の効果があったことから、名教師というものは物凄い存在であるということを
痛感させられるとともに、アウアー先生の許ではハイフェッツをはじめとする歴史的
名手が輩出された理由の片鱗を知ることができた思いがしています。
などと書くと
『レオポルト・アウアー自伝』を注文して読む人が居たりするのかもしれませんが、
アウアー先生→シフェルブラット先生→四郎先生という流れのなかで、私は四郎先生
からレッスンだけではなく指導方法についても数年ではなく十数年の長きにわたり
教えを請うことができたところに、クレッパース先生が四郎先生に宛てた手紙の内容
を重ね合わせてわかることができた内容の一部が、アウアー先生の著作の中に見られ
る…と書いているのであって、アウアー先生の著作を読みさえすれば、それがわかる
などということはあり得ません(笑)
もっとも
それなら私の処に習いに来て、その秘訣を…と思われる方も居るかもしれませんが、
それが簡明に伝えられるものではないことは言うまでもありませんが、少なくとも
私の教室に習いに来られれば、その秘訣を踏まえた指導を行っているという点では、
その恩恵を受けられると思います。
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標