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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
私の教室では
レッスン形態 教室の場所 空き状況のページの
レッスン対象の項目にも書いたように
“初心者”では
「趣味でも基礎からしっかり学びたい」という方や
“上級者”では
音大生・音大既卒者・プロの演奏者・指導者の方など
幅広くレッスンを行っています。
同様に、法学部を出たからといって、それだけで弁護士として活動できる筈もなく
ですから音楽の分野でも
私のサイトのKAYSER 36 ETUDES(カイザー ヴァイオリン練習曲)のページや
私のブログの『歴史的名教師が知る 歴史的名教師の指導の秘訣
ヴァイオリンにおける驚異の上達法』でも書いたように
クリーヴランド管弦楽団の常任指揮者となり猛練習を行い
「現代オーケストラ芸術の奇跡」とまで言われる究極のアンサンブルを実現し
かの帝王カラヤンも頭の上がらなかった名指揮者であるジョージ・セルは
『指揮法』マックス・ルードルフ著(大塚明訳 音楽之友社)の緒言において
「いつの時代でも、指揮者の資格は、もっとも効果的に自分の意図を奏者に伝え得る
優れた技術を身につけていることであった。しかし、新しい条件のもとでは、とく
に、完璧な演奏技術の要求される度合いに応じて、練習時間が増加するわけではない
から、指揮の作業の巧みさは、かつてよりはるかに必要となったわけだ。
たいていの指揮者は、このような熟練は、見習い期間や、経験の多い同僚の忠告と
導きとか、卓越した指揮者を見ならうことにより、身につけてきたのである。そのた
め、指揮法は、体系的に教授・学習し得るものではない、というのが、常識となり、
指揮法の教科書は、教授の手段としては不適当だという考え方が定着した。だが、こ
の態度が誤りなのは、明白な事実だ。これが外科手術なら実地から始めるなど、問題
になるまい。もちろん、外科医が充分な経験なしに施術し得る、と思うものは、ある
まい。しかし、外科の学徒が、専門領域の教科書をろくに学習しないですむとは、な
おさら思うまい。」と書いています。
そうしたなか
音楽大学を出たという人は、それだけで演奏者として活動していたり
音楽大学を出たという人は、それだけで指導者としてレッスンしていたり
何かしらのコンクールでの入賞や、プロとしての演奏経験や、指導団体への所属が
既述の国家試験を受けて合格して、さらに研鑽と経験を積んだことに該当する
かの如くにプロフィールに綴っている人も居ます。
音楽大学というのは
要するに、弾いてひいて弾きまくって、卒業演奏をしただけのことですし
コンクールにしても
要するに、弾いてひいて弾きまくって、順位が付いただけのことですし
演奏活動にしても
要するに、弾いてひいて弾きまくって、演奏活動をしているだけですし
指導団体にしても
つまり
既述のセルの言葉を借りれば「外科手術なら実地から始めるなど、問題」外なのに
音大卒のヴァイオリン弾きは、入学前も後も実地しか知らず
音大卒のヴァイオリン弾きの演奏は、医学を知らない外科医による手術であり
などと書くと
自分の習っている先生は、音程の取り方として左手の形や右手の加減を教えている!
自分の習っている先生は、音程に気を付けるようにチューナーやピアノを使ってる!
自分の習っている先生は、開放弦の共鳴も聴いて音程を取るように教えてくれてる!
自分の習っている先生は、音程のことだけではなく音色について指導してくれてる!
と言われてしまうのかもしれません。
ヴァイオリンの音程の取り方と称して手の形や加減を論じていたり
ヴァイオリンの音程を取るのにチューナーやピアノを使っていたりしていたのでは
それはあたかも
また
『チューナー(チューニングメーター) 実は笑撃的な装置!?』で書いたように
開放弦の共鳴で音程を確認できる音は一部でしかなく
重音、旋律、旋律の前後関係で異なる音程も含めて総ての音を確定できるうえ、
これも私のサイトのヴァイオリンの音程の取り方のページにも書いたように
その何れも最もよく響くポイントを探すことが判断材料になることから
音程の精度を求め続けることで、正確な音程と豊かで美しい響きが実現するのです。
などと書くと
『[差音]と[加音](さらに正確に調弦を行うために)』で書いたように
自分の習っている先生はキチンとレッスンしているから、そんなことは教えている!
自分の習っている先生はT朋或いはG大卒の先生だから、そんなことは習っている!
自分の習っている先生は海外の○○音大に留学したから、そんなことは分っている!
自分の習っている先生は有名オーケストラの団員だから、そんなことは知っている!
と言われてしまうかもしれません。
最もよく響くポイントといっても、弦の共鳴を聴く以外では基準を曖昧にしか知らず
最もよく響くポイントがあっても、同じ音符で複数存在した際には選択がわからず
まさしく医師が医学に基づいて手術を行い、弁護士が法律に基づいて弁護するような
明確な対処は示せないのです。
また
上記の
『[差音]と[加音](さらに正確に調弦を行うために)』で書いたような
ヴァイオリンを調弦する際に[差音]に留意することさえ知らず…というよりも
ヴァイオリンの重音における[差音]など知らずわからず習っていない先生が殆どで
ヴァイオリンの重音における[加音]など知っている先生は皆無に等しく
まさしく法律も学んでいない偽弁護士のような、医学も学んでいない偽医者のような
状態なのです。
そして
そうした偽弁護士や偽医者のような状態の先生に習ってしまっている人達は
『ヴァイオリンが上達したいのに上達したくない人達?』で書いたように
曲を弾き進めていたとしても、上達という観点では先には進めておらず
そのようなヴァイオリンごっこではヴァイオリンが本当には上達できない原因は
ヴァイオリンの音程の取り方が習えていないからだ…とわかってもなお
上達していないという問題点が存在しないかのように、見て見ぬふりをし
そのため
そんなことをしていても、何時まで経ってもヴァイオリンの音程の取り方など学べず
そんなことをしていては、何時まで経ってもヴァイオリンが本当には上手に弾けず
曲を弾き進めていたとしても、上達という観点では先には進めていない有様は
何ともお気の毒な限りです。
などと書くと
音楽大学の実情を知らない人達は「そんな筈はない」と思うかもしれませんが
音楽大学に実際に通っている人は「確かにその通り」と同意されるからこそ
私のサイトの音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンのページに書いたように
音楽大学生・音楽大学卒業者の方においては
「曲を弾いていただけで、基礎の学習が蔑ろになっている」
演奏者の方においては
指導者の方においては
「音大を卒業していても、教本の正しい使い方を知らない」
「音大の授業や今までも、音程の正しい取り方を習ったことがない」
ということで、私のレッスンを受けている方もいらっしゃいます。
そうしたなか
先日、有名音楽大学を卒業している方に対するレッスンの際に私が
正しい音程が何か?ということが、わかっていなかったのですよね」と言うと
その生徒さんは「その通りなんです」と言い、私が譬え話として
その生徒さんは「その通りで、壁だけで彷徨っていました」
そしてさらには「コンセントが見つからなかったんです」と答えていました。
その生徒さんは「その通りで、せっかく音楽大学まで卒業しているというのに
今まで何をやっていたのか…」と、今では総ての音で響きを聴いて音程を確定できる
ことを喜ばれつつも、それまで無駄なことをしていたと嘆かれてもいました。
では
どうしてそのように音楽大学に行ったとしてもヴァイオリンの音程は習えなかったり
どうしてそのような偽医者や偽弁護士のようなヴァイオリンの先生ばかりかといえば
『音程を教えるのは低俗? 音楽を騙るのは高尚?』で書いたように
ヴァイオリンは響きを聴いて音程を確定できる…という本来の手法が忘れられたため
ヴァイオリンならではの音程の取り方というものは
音程=左手の運指と、響き=右手の運弓の指導も伴う点で“技術”に精通し
そのため
ヴァイオリンという自ら音程を作る作音楽器では音程の取り方は基礎中の基礎で
その指導には正確な知識と緻密な観察に基づく訓練の反復が必須にもかかわらず
そうした指導を受けられない者や、そうした指導を受けたことがない者が巷に溢れ
『「音程に気を付けて」という台詞の無意味さ ~その1~』で書いたように
患者が症状を訴え苦しみ、そうしたことへの具体的な治療を求めても
具合の悪い箇所を指摘するだけで、それに対する個別具体的な治療は施さず
幾許かの能書きと「健康に気を付けて」でオシマイ…などということは
有り得ないのに
生徒が音程の悪さに苦しみ、そうしたことへの具体的な指導を求めても
音程の悪い箇所を指摘するだけで、それに対する個別具体的な指導は行わず
幾許かの能書きと「音程に気を付けて」でオシマイ…などということが
罷り通ってしまっているのです。
しかも
病気の場合
個別の症状に具体的な治療を施さなければ、それは偽医者だと思われるのは
個別の症状に具体的な治療を施せる医師が街中に沢山居るだけでなく
もしも街中の医師で対応できなければ大学病院で治療を受けられるからですが、
個別の音程に具体的な指導を施せなくても、それが偽教師だと思われないのは
個別の音程に具体的な指導を施せる教師が街中に殆ど居ないだけではなく
これが街中の教師だけではなく音楽大学でも指導できる先生が皆無という
更に信じられない状況にあるからなのです。
既述のようなヴァイオリンの本来のレッスンを受けたことがないために
ヴァイオリンの音程は響きを聴くことで確定させられるという本来の手法を知らずに
ヴァイオリンの音程をチューナーで取ったり取らせたりする指導者まで現れましたが
そのため
あなたのヴァイオリン演奏が本当には上達しない5つの誤った情報』
で書いたように
左手や右手やチューナーやピアノといった、音程の取り方それ以前の方法や
開放弦の共鳴音などで音程を取るといった、音程の取り方の部分的な方法や
歌うだの頭の中の音だの個性云々といった、音程の取り方が未修得ゆえの鼻元思案を
ヴァイオリンにはフレットが無いので、音程を取るのが難しい…といったことが
“常識”としての「共通認識」かもしれませんが、実はそれは音程の取り方を知らない
ために生まれた「思い込み」としての幻想で、響きで音程を確定できるというのが
これもこのブログで何度も書いているように
短歌、詩、随筆、小説…などと、何れにしても文学として書くためには
日本語ならではの文字の書き方がわからなければ話にならないように
小品、ソナタ、協奏曲…などと、何れにしても音楽として弾くためには
ヴァイオリンならではの音程の取り方がわからなければ話にならない筈です。
そして
『チューナー(チューニングメーター) 実は笑撃的な装置!?』で書いたように
ヴァイオリンはその響きを聴いて総ての音程を確定できることも知らないまま
音程の取り方も習わずに出してみた音をチューナーで計測して確認している
などということは
日本語に限らず文字はその形を見て認識できることも知らないまま
文字の書き方も習わずに書いてみた字をOCR(光学式文字読取装置)で
ではなく
であるなどと論ずべきところを
アラビア文字がわからないため
ではなく
であるなどと論じているようなものです(笑)
などではなくて
だったりするのかもしれません(大笑)
けれども
もしも書きたい文章の中で「崖」という文字を書きたいのに、それが曖昧では
読み手がその前後関係から「崖」なんだろうだろうと思ってもらえるとしても
それではキチンと書けていないことになるので、本当の国語の先生であれば
正しい文字の書き方として「崖」は「山」「厂」「土」「土」と教えるのと同じで
もしも弾きたい楽曲の中で、ある音をある音程で弾きたいのに、それが曖昧では
聴き手がその前後関係から、その音はあの音程なんだろうと思ってもらえるとしても
それではキチンと弾けていないことになるので、本当のヴァイオリンの先生なら
正しい音程の取り方として、その音の音程の取り方をキチンと教えてくれるのです。
そして
そうした際には、私のサイトのヴァイオリンの音程の取り方のページで書いたように
ヴァイオリンの音程の取り方としては
重音、旋律、旋律の前後関係において同じ音符でも音程が異なるものの
何れの場合も最も良く響くポイントとして音程を定めることができるので
それぞれに相応しい音程を、そうしたポイントから一音いちおん選び取る
必要があるのです。
であればこそ
私のサイトのレッスン形態 教室の場所 空き状況のページにも
と掲げるとともに
趣味で習う一般の方だけでなく、専門家を目指す方や
音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンにおいても
既述のような音程の取り方も含めて、伝統に則り
「正しい音程」 (正確な音程)
一音いちおん丁寧に各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
むしろ過度な練習や特訓は不要になり
正しいリズムにより躍動感と豊かな表現も得られるとともに
ヴァイオリンを奏でる本当の楽しみのページにも書いたように
今まで弾いていた曲は勿論、今まで弾きたいと思っていた作品の数々も
正しい音程の美しい響きで、無理なく安定して弾けるようになります。
と掲げています。
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標