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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
にもかかわらず
「とりあえず文章を書き通す」だの
「筆致が大切で、文字の正しさは徐々に改善する」などといった教え方をする
にもかかわらず
「とりあえず料理を作り通す」だの
「風味が大切で、調理の正しさは徐々に改善する」などといった教え方をする
にもかかわらず
「とりあえず楽曲を弾き通す」だの
「音色が大切で、音程の正しさは徐々に改善する」などといった教え方をする
ヴァイオリンの先生がもしも居たりしたら、そのような教え方にも誰も納得しない
筈です。
と思いきや
文字の正しい書き方も教えずに筆致だのという頓珍漢なことは有り得ず
調理の正しいやり方も教えずに風味だのという頓珍漢なことも有り得ないのに
音程の正しい取り方も教えずに音色だのという頓珍漢なことを言っているような
指導者?がヴァイオリンの世界には居たりするばかりか、それが頓珍漢なことだとは
思われていないのです。
さらには
文字の正しい書き方も習わずに文章を読みあさっても文章作りは上達せず
調理の正しいやり方も習わずに料理を食べまくっても料理作りは上達しないように
では何故そのような勘違いが生じるのかと言えば
『食べる人≠作る人 音源を繰り返し聴くことの無意味さ』の記事中では
その料理をまだ完全には作れない段階で、その料理を何度も食べることが
料理の上達の近道…などというのは勘違いだと誰もがわかるのに
その楽曲をまだ完全には弾けない段階で、その音源を何度も聴くことが
演奏の上達の近道…などというのは勘違いだとわからない人が居るのは
そのようなアプローチこそが、その何とかメソード(メソッド)の人達において
楽譜が読めなかったり、読めても必ずしも楽譜に立脚した演奏ができない原因で、
その楽曲の楽譜があれば、その楽曲を演奏することも音楽を作ることもできる筈が
その楽曲の音源がないと、その楽曲を演奏することも音楽を作ることもできなく
なってしまったりする…とも書きました。
という記事を書こうと思い
私よりもかなり歳の離れた…といっても高齢ではなく(笑)若い世代の人に
「『学問に王道なし』という言葉があるけれども、どういう意味か知ってる?」と
訊いてみたところ
「『学問に王道なし』は、学問には色々なやり方があるという意味」との答えに、
やはり勘違いしている人が一定数居るのだと思いました。
つまり
『学問に王道なし』の場合の「王道」は、王様専用の「近道」という意味なので
『学問に王道なし』の意味は、学問に「近道」は無いということになるのですが、
『学問に王道なし』以外での「王道」は、各種物事の「正統」という意味なので
『学問に王道なし』の意味を、学問に「正統」は無い=色々なやり方があると
勘違いしてしまうようです。
そうしたなか
特にヴァイオリンのレッスンについてはインターネットの時代になって急速に
本来の意味での『学問に王道なし』(学問に近道はない)ではなく
それは
どのような分野でも長年の叡智というものがあるのは当然であるにもかかわらず
そのような各分野の長年の叡智を学んでいなかったり知らないような人であっても
自由に簡単に情報発信してしまえるのがインターネットの時代だからです。
そのため
ヴァイオリンの分野にも長年の叡智というものが存在するにもかかわらず
そうしたことを学ばず知らず、多数のハウツー本や自己体験をもとにしただけの
皮相浅薄な「ボクが考えたヴァイオリンの弾き方」のような情報も
容易く発信できてしまえます。
すると
ヴァイオリンというものが日常生活では馴染みのないものであるために
それがその分野の専門家達において「その通り」と判断されるか否かではなく
それが一般の人達にとっていかにも「なるほど」と思えるか否かで評価されてしまい
さらには
ヴァイオリンというものが日常生活では馴染みのないものであるために
あなたのヴァイオリンがきちんと響かない決定的な理由』で書いたように
ネット上の情報を搔き集めることで専門家を装おうとする者まで居たりしますが、
そのような生兵法な愚行もまた頓珍漢なことになります。
後者のネットの情報を搔き集めて専門家を装う…などというのは異常者だとしても
前者の「ボクが考えたヴァイオリンの弾き方」については当人は真剣であるうえに
それが一般の人達にとっていかにも「なるほど」と思えてしまえる内容であるほど
そのため
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』で書いた
「弦の寿命」の判断方法は、かつてはヴァイオリンの関係者であれば
誰もが知る当然の判断方法であったにもかかわらず、現在ではそれを知る者が減り
例えば、切れてしまった時が寿命とか(まあ、当然と言えば当然ですが(笑))
例えば、発表会の前には交換するとか(大抵の先生が、こうみたいです(笑))
例えば、あの弦なら何か月くらいとか(ネット情報の多くが、これです(笑))
また
これも
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』で書いた
「正しい音程」の判断方法も、かつてはヴァイオリンの関係者であれば
誰もが知る当然の判断方法であったにもかかわらず、現在ではそれを知る者が減り
やれ、歌ってみる…ですとか
やれ、頭の中の音…ですとか
あるいは、開放弦から興す…ですとか
はては、純正律がどうこう…ですとか
さらに、ピタゴラス音律が…などと宣っているだけの者も居たりします。
そして
あなたのヴァイオリン演奏が本当には上達しない5つの誤った情報』
で書いた
ヴァイオリンにはフレットが無いので、音程を取るのが難しい…といったことが
“常識”としての「共通認識」かもしれませんが、実はそれは音程の取り方を知らない
ために生まれた「思い込み」としての幻想で、響きで音程を確定できるというのが
“事実”で、響きを聴いて総ての音程が確定でき、フレットが無いからこそ正しい
音程が取れる…といったことが、“常識”という名の情報の洪水のなかで見失われて
しまうのです。
その結果
ヴァイオリンは正しい音程で弾くと美しい音で響く…ということが忘れられてしまい
ヴァイオリンにおける音程の問題と音色の問題を分けて論じてみたり
ヴァイオリンにおいて音色が大切で音程は徐々に改善する…などといった
まったくもって実に頓珍漢なことを言う者まで居たりしますが、
ということで
文字を正しく書くことも習わずに筆致…云々などと言っていたり
調理を正しくやることも習わずに風味…云々などと言っているのはおかしいように
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』で書いた
「よく響くポイント」としての[壺]に他ならないのです。
ですから
『学問に王道なし』(学問に近道なし)ということで
文章を書くとなれば、まずは文字を正しく書くことが前提で常に気遣い
料理を作るとなれば、まずは調理を正しくすることが前提で常に気遣うように
ヴァイオリン演奏も、まずは音程を正しく取ることが前提で常に気遣うことこそが
求められます。
と同時に
『学問に王道あり』という言葉はありませんが
ヴァイオリンの音程の正しい取り方として、よく響くポイントを探す指導と練習が
ヴァイオリン演奏を、上達させるための「近道」としての「王道」という意味でも
ヴァイオリン演奏を、確実なものとする「正統」としての「王道」という意味でも
『学問に王道あり』となるのです。
日本ではある理由からバイオリンの音程の取り方は音楽学校では教えないうえ
日本から留学した学生の殆どが正しい音程の取り方を学べない事情もあるからです。
そのため
ブログの記事の『文字の書き方も習わずに文章を綴る?
あなたのヴァイオリンが上達しない決定的な理由』でも書いたように
プロや音大の先生までもがバイオリン本来の音程の取り方については不案内で
歴史的に確立されている音程の取り方を教える教室は殆どありません。
さらに
バイオリンで重音の音程を取る際の[差音]は理屈や必要性が説かれるだけで
それを聴き取る具体的なレッスンをしている教室は全くと言っていいほど
ありません。
そうしたことから当教室では
趣味で習う一般の方だけでなく、専門家を目指す方や
音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンにおいても
既述のような音程の取り方も含めて、伝統に則り
「正しい音程」 (正確な音程)
一音いちおん丁寧に各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
むしろ過度な練習や特訓は不要になり
正しいリズムにより躍動感と豊かな表現も得られるとともに
ヴァイオリンを奏でる本当の楽しみのページにも書いたように
今まで弾いていた曲は勿論、今まで弾きたいと思っていた作品の数々も
正しい音程の美しい響きで、無理なく安定して弾けるようになります。
と掲げてあります。
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標