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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
私のサイトのプロフィールにも登場する
天才ヴァイオリニストにして純正律の重要性を訴えられた玉木宏樹氏は
まぁ~ったく練習しないことを自慢されていましたが、最晩年はそれが度を越え
ある時、事務所で私と最晩年に作成された教本の構成などを相談していた際、
共演者から「どうして今日のリハーサルに来ないの?」と電話がかかってくると
「いけねぇ、忘れてた…」と、普段布団をしまわれている(だから湿気っていた)
押し入れから慌ててヴィオラを出して来たものの、もう何年も弾いていないために
弦もひどい状態で、一緒に移動する電車内で私が緊急対応したことがありました。
今も遺るネット上の日記にも「私は3年くらいヴィオラを弾いていないので、
楽器も腐りかかっているか。」と書かれています。(笑)
という話をある生徒さんにしたところ
「それはヴィオラだからで、ヴァイオリンはそれなりに練習されてたのでしょう?」
と訊かれましたが、ヴァイオリンは時々弾かれる機会があったため楽器が腐りかかる
ようなことはなかっただけで、普段はやはり指一本触れていませんでした。
ちなみに
そんな有様でなぜヴァイオリンが達者に弾けていたかといえば、それはやはり天才…
ということもありますが、天才と周囲から持て囃されて当然受かると思っていた芸大
附属の音高に落ちた際に、天才が猛烈をも遥かに凌ぐ半狂乱に猛練習し芸大に合格
された過去の経緯もあるのだと思います。
ある時などは、西麻布で飲み歩き潰れた玉木さんを事務所まで担いで帰ったところ
つい口が滑られたのか(笑)全く練習せずに技術を維持する方法を具に教示いただき
(とはいえそれは一部で、私達にはさらなる練習が欠かせません…念のため(笑))
それに対して
歴史的名教師でいらした鷲見三郎先生と、鷲見四郎先生に私を紹介してくださった
平野正雄先生は「基礎はスミさん、演奏はスミくん」と仰っていましたが、それは
平野先生よりも年上だったのが、鷲見三郎先生で
平野先生よりも年下だったのが、鷲見四郎先生だったことによるものですが、
その平野先生は「これは、超一流の演奏者のみが使う弦」と仰られて
ドミナント弦の使用を頑なに拒まれていました。
では何故
玉木さんは、ドミナント弦を多くの場合で使用し
平野先生は、ドミナント弦の使用を頑なに拒まれたのか?
ここにこそ、ヴァイオリンが正しい音程の美しい音で弾ける「奥義秘伝」が
垣間見られるのです。
それは
玉木さんは色々な音律でヴァイオリンを弾くということをされていましたが
ヴァイオリンの音律として知られるピタゴラスや純正律といった単純なもの以外にも
ヴァイオリンの音程として用いられることのない多種多様な音律での弾き分けもされ
三郎先生(門弟達は、今でも尊敬を込めてこうお呼びします)は、何しろ弦の[壺]
には私など足元にも及ばないほど鋭敏な感覚をお持ちで、レッスン前に指に砥の粉を
付けてOliv弦を擦って弦の{壺]を揃えていらっしゃいましたし
四郎先生(門弟達は、今でも尊敬を込めてこうお呼びします)は、逆に新発売の弦が
お好きな代わりに、『一流満倍!? 正しい音程で速く弾けるヴァイオリン演奏』で
書いた拍節の[壺]に関しては、卓越した感覚と指導力をお持ちでした。
何故なら
四郎先生が三郎先生のことを「三郎兄」(さぶろうあに)と呼ばれ
三郎先生は四郎先生のことを「四郎」と呼んでいたと知っている門弟は殆ど居ない
などということはともかくも(笑)
三郎先生門下の有名奏者でも、音程の取り方を習得できていない人がいたり
などと書いていると
このブログをご覧いただいている方々において
「そもそも、ヴァイオリンの音程の[壺]って、何なの?」ですとか
それはまさに
私の教室には音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンというページがあるように
趣味で習う一般の方に加えて、プロの方々もレッスンに通われていますが
そうした指導者、すなわちヴァイオリンの先生をしているある生徒さんが
「岩本先生が指導される音程の[壺]というのが、ようやく最近わかってきました」
「けれどもそうなると、音程の[壺]というのを知らないのに、正しい音程で弾けて
いる人達というのは、音程をどうやって取っているんですか?」という質問に直結
する疑念だと思います。
ヴァイオリンの正しい音程の[壺]を知らなくても、正しい音程で弾けている人達と
いうのは、よく聴くと正しい音程の[壺]ピタリ!ではなく、それに近い音程で
思い返せば
三郎先生は、音程の[壺]を揃えるために、指に砥の粉を付けて弦を擦ったり
四郎先生は、拍節の[壺]を狙って弾かせ、颯爽とした演奏を実現され
来日すると四郎先生のご自宅で練習していたフランク・ペーター・ツィンマーマンも
ヴァイオリンのそうした[壺]こそを只管に探究し探求する練習をしていました。
さらには
私とウオッカを飲んでいただけではなく指導もされた(笑)スターン先生も
私とテキーラを飲んでいただけではなく指導もされた(笑)シェリング先生も
生徒の出来が良いと怒り、出来が悪いと笑顔で褒めた(笑)メニューイン先生も
それ以外の巨匠と呼ばれる方々も、そうした音程の[壺]拍節の[壺]こそを
常に追い求め、前提として弾かれていたことを目の当たりにして来ました。
そして
『走馬看過!? ヴァイオリンの音程の取り方に気づかない』などに書いたように
短歌、詩、随筆、小説…などと、何れにしても文学として書くためには
まず初めに日本語ならではの文字の書き方を習得する必要があるように
小品、ソナタ、協奏曲…などと、何れにしても音楽として弾くためには
にもかかわらず
文字の書き方を知らず書き続けても、そのうち文字が上手になることもないように
音程の取り方を知らず弾き続けても、そのうち音程が改善するという期待もできない
ように思うのですが、世の中の多くの人は、大きく違う音程でなければそれでいいと
思ってしまうようです。
しかし
既述のような巨匠や名手であっても、このブログで私が何度も繰り返している主張
つまりヴァイオリンの正しい音程の[壺]の探求こそを「当然至極」のこととして
日々行い続けていることは忘れてはならないと思いました。
ところが
ヴァイオリンは正しい音程の[壺]で奏でると、美しい音が朗々と響く』の
タイトル通りのことが忘れられてしまい
ヴァイオリンを正しい音程の[壺]で奏でる「当然至極」のことが
ヴァイオリンの正しい音程の[壺]それ自体「奥義秘伝」のようになった結果
あたかも秘伝のタレの入った[壺]のように一部の人達にしか伝えられなくなり
秘伝のタレを用いた美味しいかば焼きの作り方が門外不出であるかの如く
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標