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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
と書くと
どのような理由でゴルフをしないのか?
どのような理由で乗馬はしないのか?…ではなくて(笑)
「バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの完成度を高めるために
シャツを復習った」というのはオヤジギャグ…ということで改めて下掲を見れば
バッハ/無伴奏にシャツ…ということがわかる人達にあっては、少し調べると
あの人物に辿り着き、その人物がかつて弾いていた楽器からバッハ/無伴奏は
嘗て師事した鷲見三郎先生は、課題曲としていきなり楽譜を渡されたものの
その楽譜を選ぶために先生は何日もなんにちも検討し探されていましたし、
嘗て師事した鷲見四郎先生は、課題曲を選ぶべく楽譜棚の前に立たれて
2分、3分…どころではなく、時には10分、20分以上も思案され
その生徒が、その時点で何を学ぶべきか、その次に何を習得すべきかを踏まえ
課題曲の選定には全身全霊で挑まれていました。
そして
『課題の重要性 如何に学ぶべきか ~その2~ 究極の練習課題事』で
具合が悪いので病院に診てもらいに行き、患者が医師に幾許かの要望をしたり
医師が、治療や投薬に何が必要か診断し、患者に治療の選択肢を示すことはあっても
患者が、治療で使うべき薬や、特に治療を行うべき点や問題点を指示して治療させる
などということは有り得ないのと同じで
演奏が悪いので教室に習いに行き、生徒が先生に幾許かの要望をしたり
先生が、指導や練習に何が必要か判断し、生徒に指導の選択肢を示すことはあっても
生徒が、指導で使うべき曲や、特に指導を行うべき点や問題点を指示して指導させる
などということも有り得ないのです…と書きました。
いかに診察し、いかに投薬し、いかに治療するかが医師の力量であるように
いかに観察し、いかに選曲し、いかに指導するかがヴァイオリンの先生の
力量であり、専門性を問われる瞬間でもあることは言うまでもありません。
もっとも
ヴァイオリンのレッスンは、病院での診察や治療ほどには一般的でないので
生徒が「レッスンのご要望等」をするのは、患者が医師に希望を伝えるのと同じでも
生徒が「レッスンご希望の曲」を示すという、患者が医師に投薬を指定するかの如き
それではまともな治療はできない、ままごとのごときヴァイオリンごっこ(笑)も
もしかすると現実に繰り広げられていたりするのかもしれません。
バッハ/無伴奏にシャツ…というオヤジギャグがわかり、それが当然と思える人達は
まさに“そのもの”としての医師による診断により、投薬され治療を受けたかの如き
まさに“そのもの”としてのヴァイオリンの伝統的で正統的なレッスンを受けた方々
である一方で
バッハ/無伴奏にシャツ…と言われて、一体全体何のことかわからないような人達は
まさに“それっぽい”だけで医療行為などとはいえない、お医者さんごっこのような
まさに“それっぽい”だけのヴァイオリンごっこ(笑)しか経験したことがない方々
ということも言えます。
さらに言えば
バッハ/無伴奏にシャツ…と言われて、一体全体何のことかわからないような人達は
まさに“それっぽい”だけのヴァイオリンごっこ(笑)しか経験したことがないために
『大体不適? 音程の取り方も知らずにバッハ/無伴奏を弾く無謀さ』の記事中で
書いたように
ヴァイオリンでは同じ音符でも重音、旋律、旋律の前後関係で音程が異なることから
の
と
と
では
では、何故このようなことになってしまったのかといえば
ヴァイオリンは響きを聴いて音程を確定できる…という本来の手法が忘れられたため
音程=左手の運指と、響き=右手の運弓の指導も伴う点で“技術”に精通し
同じ音符でも、複数の音程から最適な音程を選択する点で“音楽”に精通した者
即ち本当に音楽を知る者が教えられるということも忘れられてしまったからです。
そして
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』で書いた
[壺]による「正しい音程」の判断方法も、かつてはヴァイオリンの関係者であれば
誰もが知る当然の判断方法でしたが、それもまた忘れられてしまったのです。
そのため
ヴァイオリンという自ら音程を作る作音楽器では音程の取り方は基礎中の基礎で
その指導には正確な知識と緻密な観察に基づく訓練の反復が必須にもかかわらず
そうした指導を受けられない者や、そうした指導を受けたことがない者が巷に溢れ
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人が
アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居る事態に陥ったのです。
それならキチンとヴァイオリンの音程の取り方を習いたい!と思って
ヴァイオリン教室にレッスンを受けに行ってみたところで
『「音程に気を付けて」という台詞の無意味さ ~その1~』で書いたように
患者が症状を訴え苦しみ、そうしたことへの具体的な治療を求めても
具合の悪い箇所を指摘するだけで、それに対する個別具体的な治療は施さず
幾許かの能書きと「健康に気を付けて」でオシマイ…などということは
有り得ないのに
生徒が音程の悪さに苦しみ、そうしたことへの具体的な指導を求めても
音程の悪い箇所を指摘するだけで、それに対する個別具体的な指導は行わず
幾許かの能書きと「音程に気を付けて」でオシマイ…などということが
罷り通ってしまっているのです。
しかも
病気の場合
個別の症状に具体的な治療を施さなければ、それは偽医者だと思われるのは
個別の症状に具体的な治療を施せる医師が街中に沢山居るだけでなく
もしも街中の医師で対応できなければ大学病院で治療を受けられるからですが、
個別の音程に具体的な指導を施せなくても、それが偽教師だと思われないのは
個別の音程に具体的な指導を施せる教師が街中に殆ど居ないだけではなく
これが街中の教師だけではなく音楽大学でも指導できる先生が皆無という
更に信じられない状況にあるからなのです。
そのため
譬えるに
日本語ならではの文字の書き方は誰も教えず学ばれなくなってしまい
誰もが兎に角かいて書いて書きまくって何となく正しい文字に似せている
などということは有り得ないのに
ヴァイオリンならではの音程の取り方は誰も教えず学ばれなくなってしまい
誰もが兎に角ひいて弾いて弾きまくって何となく正しい音程に似せている
ようになってしまったのです。
挙句の果てに
既述のようなヴァイオリンの本来のレッスンを受けた人達であれば
生徒さん方がヴァイオリンの響きで音程が取れるようになるのに伴って私は
ヴァイオリンで正しい音程が取れると美しい音が響くことや、そうした音に対して
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
ヴァイオリンのそうした正しいレッスンを受けたことのない者のなかには
正しい音程が取れた際に天麩羅を揚げているような音が微かに聞こえる=潰れた音
正しい音程を選ぶ際に微かに線香花火のような音が聞こえる中から選ぶ=濁った音
などと誤想し曲解する者まで居たりするのです(笑)
既述のようなヴァイオリンの本来のレッスンを受けたことがないために
ヴァイオリンの音程は響きを聴くことで確定させられるという本来の手法を知らずに
ヴァイオリンの音程をチューナーで取ったり取らせたりする指導者まで現れましたが
そして
これも既出の
『「音程に気を付けて」という台詞の無意味さ ~その1~』で書いたように
ヴァイオリンの音程の取り方と称して手の形や加減を論じていたり
ヴァイオリンの音程を取るのにチューナーやピアノを使っていたりしていても
それはあたかも
ヴァイオリンの響きで音程を確定させる本来のやり方をまず最初に習わなければ
その演奏はただ単に“それっぽい”だけで、本来の演奏“そのもの”ではなく
とはいえ
これもこのブログでも何度もなんども書いているように
「日本語の用例集というのは、日本語を正しく綴る練習をするための教本」であり
「日本語の用例集を使うなら、日本語の文字の読み書きができていないと使えない」
のと同じで
そうしたことさえも、全く考えることもなければわかる筈もない人達も巷に溢れ
日本語の文字の読み書きもできないで日本語の用例集を使うかの如くに
音程の取り方もわかっていないままで音階練習の教本を復習う人が居る現状には
どうしてそのおかしさに気づかないのか?と思うばかりです。
あなたはどうだったでしょうか?
バッハ/無伴奏の完成度を高めるためにシャツを復習った…という記述を見て
それがオヤジギャグだということがわかりましたか?
それとも一体何のことかわからなかったでしょうか?
正に“そのもの”としてのヴァイオリン本来の指導を受けることができているのか?
単に“それっぽい”だけのヴァイオリンごっこの如き指導しか受けられていないか?
ということが、誰にとっても明らかになるのです。
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標