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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
世の中には勘違いをされているに違いないものがいくつも有って
食べ物に限ってみても
例えば「ウインナー・コーヒー」は、コーヒーとソーセージではなく
例えば「マトン」 は、馬豚ではない
と書いたことに対して
「いくらなんでも、マトンのことを、馬豚とは間違えない」と言った人でも
「それでは、ラムとマトンはどう違うのですか?」と問われて即答できる人は少なく
「それは、どちらも羊肉ということで同じでは?」「どっちでもいいのでは?」
と言いだす人も居るかもしれません。
それと同じで
ヴァイオリンの分野でも勘違いをされているものがあり
では何故それが勘違いなのか?と問われて答えられる人が居ないばかりか
それを使うのが必ずしも勘違いではなく、使ってもいいのでは?
と言いだす人も居るかもしれないものがありますが、それが
の音は
の開放弦が共鳴して
と響くように
の音は
の開放弦が共鳴して
と響くように
の音は
の開放弦が共鳴して
と響くように
の音は
の開放弦が共鳴して
と響くように奏で
の音は
の開放弦が共鳴して
と響くように奏で
の音は
の開放弦が共鳴して
の音の場合
正しい音程よりも、ある程度低くてもよく響かず
そして
これも私のサイトのヴァイオリンの音程の取り方のページにも書いたように
その何れも上掲のように最もよく響くポイントを探すことが判断材料になることから
音程の精度を求め続けることで、正確な音程と豊かで美しい響きが実現するのです。
さらに
このブログで何度も書いているように
生徒さん方がヴァイオリンの響きで音程が取れるようになるのに伴って
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言うようになり
ですから
ヴァイオリンは総ての音程において響きを聴いて正しい音程が取れるとともに
重音、旋律、旋律の前後関係で異なる音程も含めて総ての音程を正しく取れるように
ヴァイオリンの指板にはギターのようなフレットが無いのであって、
ヴァイオリンの指板にはギターのようなフレットが無くて音程が取り難いというのは
ところが
『音程を教えるのは低俗? 音楽を騙るのは高尚?』で書いたように
ヴァイオリンは響きを聴いて音程を確定できる…という本来の手法が忘れられたため
ヴァイオリンならではの音程の取り方というものは
音程=左手の運指と、響き=右手の運弓の指導も伴う点で“技術”に精通し
同じ音符でも、複数の音程から最適な音程を選択する点で“音楽”に精通した者
即ち本当に音楽を知る者が教えられるということも忘れられてしまったのです。
そして
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』で書いた
[壺]による「正しい音程」の判断方法も、かつてはヴァイオリンの関係者であれば
誰もが知る当然の判断方法でしたが、それもまた忘れられてしまったのです。
そのため
ヴァイオリンという自ら音程を作る作音楽器では音程の取り方は基礎中の基礎で
その指導には正確な知識と緻密な観察に基づく訓練の反復が必須にもかかわらず
そうした指導を受けられない者や、そうした指導を受けたことがない者が巷に溢れ
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人が
アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居る事態に陥りました。
しかも
『「音程に気を付けて」という台詞の無意味さ ~その1~』で書いたように
病気の場合
個別の症状に具体的な治療を施さなければ、それは偽医者だと思われるのは
個別の症状に具体的な治療を施せる医師が街中に沢山居るだけでなく
もしも街中の医師で対応できなければ大学病院で治療を受けられるからですが、
個別の音程に具体的な指導を施せなくても、それが偽教師だと思われないのは
個別の音程に具体的な指導を施せる教師が街中に殆ど居ないだけではなく
これが街中の教師だけではなく音楽大学でも指導できる先生が皆無という
更に信じられない状況にあるからなのです。
既述のようなヴァイオリンの本来のレッスンを受けたことがないために
ヴァイオリンの音程は響きを聴くことで確定させられるという本来の手法を知らずに
ヴァイオリンの音程をチューナーで取ったり取らせたりする指導者まで現れましたが
さらに
既述のようにヴァイオリンの本来のレッスンを受けた人達であれば
ヴァイオリンで正しい音程が取れると美しい音が響くことや、そうした音に対して
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言うことがわかる一方で
ヴァイオリンのそうした正しいレッスンを受けたことのない者のなかには
正しい音程が取れた際に天麩羅を揚げているような音が微かに聞こえる=潰れた音
これもこのブログで何度も書いているように
短歌、詩、随筆、小説…などと、何れにしても文学として書くためには
日本語ならではの文字の書き方がわからなければ話にならないように
小品、ソナタ、協奏曲…などと、何れにしても音楽として弾くためには
ヴァイオリンで音程が正しくてもしょぼい音では仕方ない…などというのは
ヴァイオリンの音程は正しく取れるとよく響くことを知らない者の戯言で(笑)
日本語に限らず文字は正しく書ければはっきりと認識できるにもかかわらず
文字の正しい書き方も習わずに字を濃くしっかりと…と言っているようなもので
にもかかわらず
『「音程に気を付けて」という台詞の無意味さ ~その1~』で書いたように
ヴァイオリンの音程の取り方と称して手の形や加減を論じていたり
ヴァイオリンの音程を取るのにチューナーやピアノを使っていたりしていても
それはあたかも
そのうえ
ヴァイオリンはその響きを聴いて総ての音程を確定できることも知らないまま
音程の取り方も習わずに出してみた音をチューナーで計測して確認している
などということは
日本語に限らず文字はその形を見て認識できることも知らないまま
文字の書き方も習わずに書いてみた字をOCR(光学式文字読取装置)で
ですから
ヴァイオリンでチューナーを使っても、結果の確認だけで音程の取り方は学べず
ヴァイオリンでチューナーを使っても、正しい音程は得られないので
ヴァイオリンは開放弦の共鳴以外でも響きで総ての音程を確定できるにもかかわらず
ヴァイオリンの音程をチューナーや開放弦の共鳴…などというのは偽論でしかなく
実は、極めて笑撃的な装置であることに最近気づきました。
ヴァイオリンの音程を取るにはヴァイオリンの響きを聴くことから
ヴァイオリンの音程を正しく取れるようになることは右手の訓練にもなりますし
すると
そうした生徒さん方の中で、他の教室から移って来られた方々は皆さん異口同音に
それ迄ヴァイオリンの音程を取るのにチューナーを使ってしまっていた…ですとか
或いはヴァイオリンの音程を取るのにピアノを叩いて音を取らされていた…ですとか
左手の形や右手の加減ばかりで音程の取り方それ自体について指導されなかったので
何時までたっても音程が良くならなかった…などと嘆かれます。
そうしたなか
当然のことながら、重音、旋律、旋律の前後関係で異なる音程も含めて
総ての音程で開放弦の共鳴だけではなく響きを聴いて正しく確定できる生徒さんが
ある時「先生、もしもチューナーを使って音程を取ったらどうなるんですか?」
と質問されたのです。
どのような動作をするのか確認するため、私が数音~数フレーズを弾いてみて
それを踏まえて私が数音~数フレーズで、常にチューナーの針が真ん中を指すように
弾いてみせて、そのような演奏ができるのは一定の技術があればこそ…と自慢しよう
と思いきや、私がそのような自慢をするよりも先に生徒さんが
「先生~、チューナーで音程を取ると、こんなヘンテコな音程になるんですね」と
大笑いし始めてしまったのです(大笑)
私はその生徒さんの台詞を聞いて、暗澹たる思いになりました。
そうではなくて
既述のように開放弦の共鳴音で音程を確認できる音は一部でしかなく
重音、旋律、旋律の前後関係で異なる音程も含めて総ての音を響きで確定できるのが
ヴァイオリンなのですが、そうしたことを知らずわからず習わないような人達が
ヴァイオリンの学習者のみならず指導者?のなかにも居たりして、そうした人達は
さらに
ヴァイオリンでは一切使う必要がないチューナーで音程を取り続けていると
身も心も…ならぬ、耳も頭も、すっかり“チューナー耳”になってしまうだけでなく
ヴァイオリンの音程の取り方=ヴァイオリンの響きを聴くという根本を学べないうえ
ヴァイオリンは音程の正しさにより美しい音の響きが得られることもわからないまま
『肩当てにおけるUFO?! ~その1~』でも書いたように
音程の取り方が不明で抽象的な世界に逃げ込むために音色を語ったりしますが
これこそまさに毒学の毒学による毒学のための毒学でしかないといえます。
ですから
チューナーを使っている=“それっぽい”だけで本当ではないバイオリンのレッスン
チューナーなど必要ない=“そのもの”としての本当の本来のバイオリンのレッスン
であることに
一人でも多くの人達が一日でも早く気づいてくれることを願わずには居られません。
そして
あなたのヴァイオリンが上達しない決定的な理由』で書いたように
あなたのヴァイオリンが上達しない決定的な理由は
まるで文字の書き方も習わずに文章を綴るかの如くに
音程の取り方も知らず習わずに演奏をしているからであることにも
一人でも多くの人達が一日でも早く気づいてくれることを願わずには居られません。
もっとも
そもそもこのブログはブログの目次のページにも記したように
レッスンを申し込まれる判断材料として
レッスン方針・レッスン形態のページなどとも併せてご覧いただくために
書いているものですが、それすらさえ通じることなく
このブログを眺めて悦に入るだけ…という方も居るようなので(笑)
既述のようなことを書いてみたところで、通じないのかもしれません。
残念です。
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標