KAYSER 36 ETUDES
(カイザー ヴァイオリン練習曲) 第1番冒頭
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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
私の教室には
音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンというページもあるように、
趣味で習う一般の方から、音大生(音楽大学生)、演奏者(プロ奏者)、
指導者(ヴァイオリンの先生)までもが習いに来ていますが
教えている先生の皆さんは、いかに教えれば上手になるのか?
習っている生徒の皆さんは、いかに復習えば上手になれるのか?と考えています。
私は
ヴァイオリンの音程の取り方は全く間違っている?!』や、当記事の冒頭と脚部の
一覧にある神話、童話、寓話、有名な物語などを題材にした記事で、ヴァイオリンを
ヴァイオリン本来の奏法に基づく正しい音程で奏でる重要性について、繰り返し主張
し続けています。
今回取り上げる
有名な『アリババと四十人の盗賊』の物語では
盗賊たちの宝の隠し場所と、その岩の扉の呪文を偶然に知ったアリババが
盗賊たちが去った後で「ひらけ、ゴマ」と言ってみると、岩の扉が開き、
金貨を家に持ち帰ることができたものの、それを聞きつけた兄のカシムは弟から
無理やり呪文を聞き出し、「ひらけ、ゴマ」と言って洞窟に入り「とじろ、ゴマ」と
言って中で金貨を詰めるも、「ひらけ、ゴマ」という呪文を忘れたために洞窟から
ヴァイオリンのレッスンで、呪文を忘れると殺されてしまう…ことはありませんが
「ひらけ、ゴマ」「とじろ、ゴマ」に相当するものがヴァイオリンの指導にもあり、
はたして、呪文を知り金貨を得るように、正しい奏法を習得した先生の指導なのか?
あるいは、呪文を忘れて殺されるように、正しい奏法でないレッスンごっこなのか?
ということが誰にでもわかる事例として、ヴァイオリンのエチュードとして有名な
KAYSER 36 ETUDES(カイザー ヴァイオリン練習曲)の第1番の冒頭部分で
示してみたいと思います。
(けれども
こうしたヴァイオリンの重音における[差音]自体を殆どの人が知らないうえ
こうしたヴァイオリンの調弦における[差音]を用いた正確な合わせ方を知る
指導者も、今日では殆ど居なくなってしまっています)
の音を
としてみます。
その際
この赤枠の部分の音程を考えると
この青枠の部分の音程を考えると
(ちなみに念のため書いておけば
の運指は
この赤枠の部分で
という赤い「ド」(高めのド)で取った場合には
でまずフレーズを完結させたうえで
続く音形とは分離させ
この青枠で取った青い「ド」(低めのド)で統一する…となると
この赤枠部分では赤い「ド」であったものを青い「ド」で統一させるべく
この赤枠部分での赤い「ド」としての音程の関係性を成立させないためにも
というフレーズになり
続く音形も
と思っていたフレーズではなく
従って
フレーズも大局的にはリズムの取り方の一環でもあるとみるならば
『“音程” は “リズム” に属する』の記事では、そのタイトルにあるように
“音程”は“リズム”に属するということを書きましたが、それは同時に
“音程”が“リズム”を齎すとも言えます。
このように
KAYSER 36 ETUDES(カイザー ヴァイオリン練習曲)の第1番の冒頭だけでも
ヴァイオリンで演奏する際のヴァイオリンとしての正しい音程の取り方が問われ
それぞれの「ド」の音程をどう取るのか?という問題が生じますが
ヴァイオリンの愛好者の急増により、こうした本来の奏法を指導されたことが無い
者が粗製濫造されてしまい、そうした者が多少ヴァイオリンが巧みに操れるという
そのため
「正しい音程」の「美しい音」で「朗々と奏でる」』でも書いたように
[壺]を探し出せない点でヴァイオリンの正しい音程を取るのには全く使えない
チューナーこそを、その道標とする者も居たりするばかりか
[壺]に斟酌を加えた巨匠の芸術的音源を、音楽的表現などと皮相浅薄に解しつつ
[壺]としての響くポイントは眼前のヴァイオリンを奏でることでのみわかるのに
音源の耳コピーという表面的な模倣による粉飾を上達と勘違いする者まで居ますが、
これは『食べる人≠作る人 音源を繰り返し聴くことの無意味さ』で書いたように
何とかメソード(メソッド)においてそうした練習方法が提唱されている弊害です。
文字の書き方も教えずに、単に、文字を良く見ろ!だの、黙読しろ…だの
とにかく線形を書いてOCR(光学式文字読取装置)にかける…だの
鉛筆を持つ手の形を論じる…などという国語の授業は絶対に有り得ないのに
音程の取り方も教えずに、単に、音を良く聴け!だの、頭の中の音…だの
その結果
正しい音程の美しい音でハッピーエンドな演奏をするには?』でも書いたように
ヴァイオリンの本来の奏法を知らない人達は、正しい音程の取り方も知らないため
音程のクオリティを徐々に改善=なんとなく正しいと感じる音程に近づけるだけで
一方
ヴァイオリンの本来の奏法を知る人達は、正しい音程はよく響くポイントの[壺]
挙句の果てに
私のサイトのヴァイオリンを奏でる本当の楽しみのページにも書いたように
ヴァイオリンをヴァイオリンとして奏でることでこそのヴァイオリンの魅力であり
ヴァイオリンをヴァイオリンそのものとして弾く既掲のような論理的裏付けを伴い
きちんと指導を行うのがヴァイオリンの本来のレッスンであるにもかかわらず、
そうした指導など受けたことが無いような者がヴァイオリンのレッスンと称して
さらには
ヴァイオリンの本来の奏法による音程の取り方を知らない虚しさ』で
幼少期に難曲を弾きこなしていた日本人の女性奏者や,日本人の女の子について
感動であれば、不特定の多数の人々を繰り返し継続的に惹きつけることができますが
感心の場合は、不案内な一定の人々が情報に釣られ注目してしまうことはあっても、
それは専ら年齢に比して難曲を弾き通しているということからくるものであるため、
やがて人々の関心が薄れると、「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」を
地で行くか、その後は嘗ての栄光に縋って過ごすだけになる…と書きましたが、
既述のような本来の奏法を未習得であるから感動的な演奏はできないだけではなく
以上のように
KAYSER 36 ETUDES(カイザー ヴァイオリン練習曲)の第1番の冒頭部分で
2種類の「ド」の音程の存在を示し、その何れを選択するかを指導しているか否かで
ヴァイオリンとして演奏し弾くための、そのものとしての技術を教える先生なのか?
ヴァイオリンらしく粉飾し擦るための、それっぽい能書きを騙るだけの先生なのか?
ということが明らかになるのです。
いいえ
KAYSER 36 ETUDES(カイザー ヴァイオリン練習曲)の第1番の冒頭部分で
この記事で書いた「ド」の音程の取り方は、初心者には最初に教えるべき内容である
にもかかわらず最初にこれを教えなかったのは、知らなかったことの証でしかなく
既述のように
音程のクオリティを徐々に改善=なんとなく正しいと感じる音程に近づけるだけで
一方
ヴァイオリンの本来の奏法を知る人達は、正しい音程はよく響くポイントの[壺]
「シ」の音程の取り方については説明しておらず
それについてはこの記事同様に開放弦から興す方法で説明できる2種類の音程と、
それ以外に論理的に導く2種類、またそれらも含めて[壺]で確認できる1種類の
さらには
それが習えていなければ
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カテゴリ: 音程の[壺](つぼ ツボ)