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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
池袋駅の東口を出て
目の前にあるドン・キホーテの店舗は、かつてはさくらやという家電量販店で
「安さ爆発!」というキャッチフレーズのCMほどには安くなかったものの(笑)
居抜き物件ということもあり、今でも時々ドン・キホーテの店内で
「ああ、ここで電源タップを購入したよなぁ~」ですとか
「ああ、ここで(当時はまだ1倍速だった)CD-Rを買ったよなぁ~」などと
さくらや当時の売り場を思い出すことがあります。
(特にCD-Rは当時まだ発売当初で一枚¥3千以上したものの
四郎先生(私達門弟は、鷲見四郎先生のことを、今でも尊敬を込めてこうお呼び
します)がレッスンを録音して生徒さん方に渡すために、私が大量に購入して
お届けし、生徒さん方は「レッスンが終わると、レッスンをその場でCDにして
渡してもらえる」と驚いていました(笑))
まず
第一の壁は
あなたのヴァイオリン演奏が本当には上達しない5つの誤った情報』
で書いたように
ヴァイオリンにはフレットが無いので、音程を取るのが難しい…といったことが
“常識”としての「共通認識」かもしれませんが、実はそれは音程の取り方を
知らないために生まれた「思い込み」としての幻想で、響きを聴いて総ての
音程が確定でき、フレットが無いからこそ正しい音程が取れるという“事実”を
伝えることでした。
しかし
上記のように“常識”という「共通認識」が「思い込み」として定着しているなかで
そうではない“事実”を語ることは、それだけで「一体何を言っているの?」という
捉え方をされてしまうらしく、なかなかその真意が伝わらない残念さもありましたが
そして
第二の壁は
をはじめとする記事で書いたように
短歌、詩、随筆、小説…などの何れにおいても文学として書くためには
日本語ならではの文字の書き方がわからなければ話にならないように
小品、ソナタ、協奏曲…などの何れにおいても音楽として弾くためには
ヴァイオリンならではの音程の取り方がわからなければ話にならない筈だと
伝えることでした。
しかし
ヴァイオリンは正しい音程で奏でると美しい音が鳴り響くことを知らない人達には
ヴァイオリンの正しい音程の追求は、単なる音程の精度を求めるだけの技術的偏重
という勘違いが有り、今度はそれを超える必要がありましたが、これについても
そうした中で現れた
第三の壁は
『ヴァイオリンの「弦の寿命」と「正しい音程」“線香花火音感”の正体』
で書いたように
ヴァイオリンの正しい音程の取り方は、かつてはヴァイオリンの関係者であれば
誰もが知る当然の判断方法であったにもかかわらず、現在ではそれを知る者が減り
やれ、歌ってみる…ですとか
やれ、頭の中の音…ですとか
あるいは、開放弦から興す…ですとか
はては、純正律がどうこう…ですとか
さらに、ピタゴラス音律が…などと宣っているだけの者が居ることでした。
しかし
上記はいずれも、ヴァイオリンで音程を取る本来のやり方とは無関係であったり
理屈でさえもが、ヴァイオリンで音程を取ったことへの後からの評価であるだけで
ヴァイオリンの正しい音程の取り方それ自体を伝えるものではないことから
ところが
第四の壁は
『『学問に王道あり』 ヴァイオリンの練習と演奏における「近道」と「正統」』
で書いたように
どのような分野でも長年の叡智というものがあるのは当然であるにもかかわらず
そのような各分野の長年の叡智を学んでいなかったり知らないような人であっても
自由に簡単に情報発信してしまえるインターネットの時代になり
長年の叡智に拠らない多数のハウツー本や自己体験をもとにしただけの
皮相浅薄な「ボクが考えたヴァイオリンの弾き方」のような情報が溢れかえり
既述のようなヴァイオリンは響きで音程が確定できるという“事実”が
情報の洪水のなかで見失われてしまっていることでした。
しかし
そのような「ボクが考えたヴァイオリンの弾き方」などは所詮はママゴトの類で
ヴァイオリンの正しい音程の取り方という歴史上の叡智は決して消えないとともに
第五の壁として、最後の難関、というよりも誤解が残ってしまいました。
それは
『音程を教えるのは低俗? 音楽を騙るのは高尚?』で書いたように
短歌、詩、随筆、小説…などの何れにおいても文学として書くためには
日本語ならではの文字の書き方がわからなければ話にならず
日本語ならではの文字の書き方もわからずに、文学を騙る先生が高尚
日本語ならではの文字の書き方と、その字形を教えている先生が低俗
であるかの如くに捉える人は居る筈がありません。
小品、ソナタ、協奏曲…などの何れにおいても音楽として弾くためには
ヴァイオリンならではの音程の取り方がわからなければ話にならず
ヴァイオリンならではの音程の取り方もわからずに、音楽を騙る先生が高尚
ヴァイオリンならではの音程の取り方と、その響きを教えている先生が低俗
であるかの如くに捉える…わけではないにしても、所詮、そのような音程の
しかし
文章を書く…となれば、まず文字の書き方をきちんと習ってから…というより
文字を正しく書くことは、文章を書くうえでの前提として常に気遣うように
ヴァイオリンの演奏でも、まず音程の取り方をきちんと習ってから…というより
音程を正しく取ることは、演奏をするうえでの前提として常に気遣うべきことで
それは初心者や上級者のみならず音大生、演奏者、指導者でも変わらないとともに
ブログの記事の『文字の書き方も習わずに文章を綴る?
あなたのヴァイオリンが上達しない決定的な理由』でも書いたように
プロや音大の先生までもがバイオリン本来の音程の取り方については不案内で
歴史的に確立されている音程の取り方を教える教室は殆どありません。
さらに
バイオリンで重音の音程を取る際の[差音]は理屈や必要性が説かれるだけで
それを聴き取る具体的なレッスンをしている教室は全くと言っていいほど
ありません。
けれども
そうしたことから当教室では
趣味で習う一般の方だけでなく、専門家を目指す方や
音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンにおいても
既述のような音程の取り方も含めて、伝統に則り
「正しい音程」 (正確な音程)
と掲げています。
そのようなこともあり
初心者にあっては
「それ迄ヴァイオリンの音程を取るのにチューナーを使ってしまっていた」
「ヴァイオリンの音程を取るのにピアノを叩いて音を取らされていた」
指導されなかったので何時までたっても音程が良くならなかった」
「チューナーで確認しながら左指の正しい形を作るというのはおかしい」
また
既出の音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンのページにもあるように
音楽大学生・音楽大学卒業者の方においては
「曲を弾いていただけで、基礎の学習が蔑ろになっている」
演奏者の方においては
指導者の方においては
まさに
「壺中之天」とは一般には壺の中の別世界において、酒を飲んで浮かれることですが
ヴァイオリンの音程を響きで確定させることとは』などの記事で書いたように
ヴァイオリンにおける正しい音程とは、「よく響くポイント」としての[壺]を
探し求め続けること…という点では
両者ともに[壺]がキーワードであり
そしてその[壺]を見つけるレッスンを受け続けられている人達こそが
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カテゴリ: ヴァイオリン上達の指標